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普通の舞台照明をしよう

こんばんは。電気マグロです。

 

東京のサラリーマンなので、御多分に洩れず在宅勤務体制に入っております。

こんな状況でも宅配便ちゃんと届くのすごいな。

 

そして、ヒガシも書いていましたが、いろいろな意味で「貧しい」、どっちかといえば精神とか考え方の深さ的な意味で貧しい国(政治)の下で暮らしているなと思う日々です。

 

あー、そんな話がしたいんじゃなかった。

 

 

改めまして。

アトリエ5-25-6 Produce Vol.2 犬小屋計画『一人夜明けにパンを焼く』ご来場いただきありがとうございました。

 

照明的には、今回は非常に「普通の照明」をやったんじゃないかと思います。

この「普通」が、家公演という環境を考えるとそんなに普通じゃないと思うので、その辺を話します。

 

 

演出からの要望

今回の演出家「サンいぬ」さんは、同人漫画家であり、観劇頻度は高いが演出をつけるのは初めてということで、主演でもあったヒガシを中心にgekidanUメンバーにて演出補佐的な役割も担っていました。
よって照明の演出要望についても、最初はヒガシ伝手で聞いたのですが(後にサンいぬさん本人も交えて確認しました)、

  • 朝日
  • 現実と回想との切り替えを行いたい
  • ラストの「仄青い明かり」(これはト書きに書いてあるので脚本=遠藤の指定)

くらいしか特別なことが無くて、逆に不安になりました。

というか、演劇的にはごく普通の要求なのですが、家公演というのはそもそも環境が特殊なので、たとえば「現実と回想の切り替え」のようなことは難しいのです。

 

反対に「海」のようなコテコテの飾り明かりの方は、ほとんど機材自体の効果でゴリ押ししてしまうので、家の構造に光を当てると程よく日常と非日常の引っ張り合いが取れて、簡単だったりします。

画像

 

昨年の『金星』のタイムマシンのシーンなどは典型的にそのパターンですね。効果範囲も、狭いベランダの中だけに留まっていますし。

 

そういうわけで、「こんなのでいいのかな…?」と思いながら直前まで過ごすという、何ともモヤモヤした幕開けになりました。

 

※また今回の公演期間中、仕事の方が非常に多忙を極めていたこともあり、ついに仕込み図すら描かずに仕込みを始めてしまったのも、不安要素の一つでした。

 

 

「手札」という言葉

そんなこんなで、苦し紛れにひねり出した20ch程度の照明で絵作りを開始することになりました。
間に合ってなかったのと、シーン数が少なかったこともあり、場当たりを長めに取ってもらって、場当たりしながら絵作りをさせてもらいました。

最初に一通り、仕込んだ照明を1chずつ見てもらったのですが、その時にサンいぬさんが、「この手札で照明を作るんですね」と仰ったことをよく覚えています。

照明の絵作りを見たことある方ならわかると思いますが、チャンネル単独の照明は、ほとんど何だか良く分からない、寂しいスポット的な光でしかなく、組み合わせて初めて“照明”が立ち上がってきます。

こういう断片を見て、「手札だ」とわかる演出家さんは、そんなにいないと思い、印象に残っています。

 

 

 

回想のシーン

ここからは具体的な照明シーンの話ですが、まず「回想」のシーン。主人公であるニシくんが、現実と回想を行ったり来たりするため、これを照明で表現することが必須でした。

 

ところで個人的に、回想は「赤い回想」と「白い回想」があると思っています。

専門的にいえば、①通常明かりに対して色温度を低くすることで回想を表現する方法と、②逆に色温度を高くすることで非現実感を出し、回想の表現とする方法です。

 

前者は#35、#45、#A-5、辺りで、懐かしい回想という感じ。後者は#79、#BL-1、#B-5、辺りを使い、幻想的な回想という感じですかね。

 

どちらの回想を使うかは、その時々の演出的な判断によるわけですが、今回は珍しくハード的な制約で「白い回想」をチョイスしました。

 

家に元々ある基本明かりが白熱電球のダウンライトとシャンデリアで、ベースの色温度が低めなので、これと対照的にするために、必然的に白っぽくすることにしました。

 

シャンデリアを使わずに「もう一つの地明かり」が作れるかどうか不安でしたが、昨秋に常設したダクトレールの一番端にミニフレネルを吊って#00を入れたところ、ちょうどよくフラッドな地明かりになったので良しとしました。

 

 

 

ベランダの照明

何かと毎回エモめの絵が生まれがちのベランダ部分ですが、これも今回、舞台照明的にはとても「普通」のことをやっています。

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#A-3を入れたFQと、LEE#201 (#B-5相当) を入れたFQを1発ずつ。それと椅子に当てる凸が1発。

A-3とB-5は若干光の方向性が違うのですが、学生劇団がよくやるA-B混色の変種ですね。そこに凸を1発入れることで「広い」〜「狭い」の軸も生まれて、いかにも演劇照明って感じです。

 

 

 

まとめ

まとまりのない文章ですが、総合して今回の公演は、家公演という特殊な環境でありながら極めて「普通の」演劇照明を実施したという感触が強く残っています。

 

これはある意味、設備改修も含めてこの家劇場という場所の使い方に習熟してきた証かなと思います。

 

逆に言えば、これからが本当の意味で舞台照明的な価値を問われる時期と言えるわけで、次回はさすがに、仕事が忙しくても図面も描かずに仕込みになだれ込むのは厳しいかな、と思っています(笑)

 

 

実は他にも、朝日・夜明けの表現の仕方とか、Philips Hueを使ってみた感想とか、色々書きたいことはあるのですが、それは追々個人ブログにでも書くことにします。

 

皆さんも時節柄、お体ご自愛ください。

こんにちは。ヒガシナオキです。

 

雪すごいっすね。昼前まで爆睡してカーテンを開けた時の「ぞわっ」って感じ、おおってなりました。

 

例にもれずしっかりと外出自粛してる(夜は少しだけ近所の商店街の経済を回している)ので、

この前の振り返りと今のこの状況に対してのこと及び、開催発表した弔EXPO20についてつらつらと書いていこうかと思います。

 

●はじめに

 

えー改めまして、アトリエ5−25−6Produce Vol.2 犬小屋計画「一人夜明けにパンを焼く」

ご来場いただけた方々、気にかけていただいた皆様、ありがとうございました。

 

 

 

3月上旬のコロナウイルスに対する政府の会見以降、

演劇に限らずたくさんのパフォーマンスアートが発表の場を失わざるを得ない形となりました。

 

我々は上記のタイミングで声明及び対策発表の上、実施をさせていただきましたが、

これが1週間後にズレていたらどうなっていたかな、自分たちで運営し、

換気等対策が完全に行える環境の我々でも、開催判断は難しかったのかなと思っています。

 

実際、今週は別の現場の舞台監督として入らせていただく予定でしたが、中止となりました。

開催できていればその団体さんの旗揚げ公演でした。

 

この状況の中でもVol.1を大きく越える数ご来場いただけたお客様に感謝申し上げるとともに、

この期間に判断を迫られた主催団体の皆さんに心から敬意を表させていただきます。

 

僕らはいろんな意味で「貧しい国」にいる、ということがはっきりわかる日々が続いていますが、

その時々に感じたことを大事にして、今後より善く生きることにつなげていきたいなぁと思います。

 

 

「一人夜明けにパンを焼く」芝居作り、演出面の話

 

ここからは「一人夜明けにパンを焼く」を主に演出面からいかに作ったか、どんなことを考えたか、

という話をしようと思います。

 

稽古序盤に下記で今回のベースになる犬小屋計画さんとの関係性とか、僕の立ち位置とか、

そういうのはここに書いてあるので参照いただければと思いますが、

今回は「漫画原作のモノを芝居にして立ち上げる」際に、

あの独特の空間でどのように考え、組み上げていったかを記します。

 

まず、今回の「一人夜明けにパンを焼く」というお話、原作の漫画では、

一人の青年「ニシ」と親友「カズ」のやり取りが軸になり、

こちらも母である「ヒカリ」も加えた「ニシ」に見えている日常の光景が、

全て病気による妄想だった、というラストになります。

 

主題は病気というより、「ニシ」が生み出した「カズ」との関係性にフォーカスされていて(作者のサンいぬさんの言う「クソデカ感情」)、

その中で時折保健師である「真崎」により客観的なアセスメント結果として現実が伝えられるような形になっています。

 

これを芝居にする、というときに、

凄く簡潔に言うと「コレ一つ間違えるとクッソつまんなくなるな」という危機感がありました。

もう少し説明すると、「原作を尊重する」を履き違えると逆に原作を汚してしまうな、というのを強く感じました。

 

という感じで、漫画⇒芝居にするときに、たくさん考えなければいけない部分はあったのですが、

特にまず考えたところは「視点」の違いです。

 

漫画では基本的に「ニシ」の一人称の視点で話が進み、

終盤になってタネ明かしのような形で「真崎」が「ニシ」の病状を職場に報告しているところや、

「ニシ」がだれもいない部屋で楽しそうに会話しながら一人でパンを食べているところが、

初めて三人称の視点で描かれることによって「カズ」と「ヒカリ」はいなかった、となることで物語が成立しています。

 

漫画における読者の視点は基本的には「ニシの一人称で見えている光景を同じように体験している」形になりますが、

言わずもがな、演劇では観客は常に定点で出来事を追うことになるので、これを行うことは不可能です。

 

これを無視して「全てはニシの妄想でした」というラストにしても、

そんなことはとっくにわかるでしょうし、「で?」となることは明白でした。

 

であるとすると、客の「視点」がどういう存在かとはっきり定義するかが何よりも大事で、

脚本の遠藤が最初台本に仕上げてきたときに、漫画の設定とセリフを大事にしすぎて、

この辺りをあまり考慮できていなかったことで凄い辛辣にダメ出しをした結果、一時期めっちゃ険悪になりましたw

 

また、その「視点」から視えるべき光景、という観点で美術も考えていきました。

 

 画像  

 

これが実際の舞台写真になるのですが、

キッチン/テーブル回り及び、上手のガラス張りのはしごの部分(元々ベランダの部分にパネルを立て、3階の窓にハシゴと台でつないだ空間)、その手前の積み重なった本と机の部分は、ある程度常識的というか、生活の営みが感じられる空間になっています。

対照的に下手手前の雑然とした棚及びボロッボロの布がかかっている奥の半開きの部屋は、局所的に全く違う雰囲気をもたらしてます。

 

簡単に分けると

キッチン/テーブル/上手が、「ニシに見えている光景」

下手部分が「第三者から見えている光景」

になります。

 

今回の観客の視点に名をつけるとすると、「万能な覗き穴」でした。

 

前述の通り、芝居の観客は、

「ニシの一人称で見えている光景を同じように体験する」ことは不可能ですが、

ストーリー上は漫画同様「ニシ」から見えている景色をベースに話が進み、

「ニシに見えている光景」=キッチン/テーブル/上手を中心に展開していきます。

なので観客の視点は「ニシに見えている光景をリビングの隅の別視点から覗いている」という状態になります。

少し説明が足りないかもしれないですが、母「ヒカリ」役にとても若い日野さんをキャスティングしたのはここに理由があります。

 ニシの妄想には一番女性として魅力的だったと感じていた時期の母親が登場しているはずなので。

 

一方で、現実の存在である「真崎」とのやりとりだったり、

「ニシ」が玄関に降りたり母と話に3Fに行ったりして際に2Fから離れているとき=客から観えなくなっているとき、

ラストの一人でパンを焼いて暗闇に楽しげに話しているシーンは、

「ニシに見えている光景」の中だけでは回収できない部分です。

 

その時に観客の視点は「リビングの隅から実際に見えているものを覗いている」状態になります。

下手部分=「第三者から見えている光景」を少し表象的/オブジェ的に立ち上げておくことで、

この覗き穴の「覗き方」変更を誘導する意味がありました。

 

普段はあまりこういうこと考えないので、いつものgekidanU作品と比べて難解さが生まれたかもしれません。

この上で、更に演劇版では「ニシから見えている光景」が「単純な過去の回想」と「現在の妄想」に何度も分岐するので、

そこは照明の変化に頼りました。ここはまた別途照明電気マグロが解説すると思うので詳しくは触れませんが、

なのでいつもより「舞台っぽい照明」をがっつりやってもらった形になりました。

 

役者としての「一人夜明けにパンを焼く」

 

前項がバカみたいに長くなってしまった

偉そうに色々解説してしまいましたが、

今回は主演だったので厳密には演出という形では入っておらず、

けっこう直前まで自分の役にあくせくしておりました。

 

何本もあのリビングで芝居はしてきたのですが、

だいたい舞監とか演出兼ねてるので、

すっごい重要な役とかながーく出てる役ってそんなになかったので、

今回70分中67分出てるような主役って全然やったこと無くて、なんだか新感覚でした。

 

また、役柄に関しても、ホント自分のパーソナルな部分と180度とは言わずとも165度くらいは違うんじゃないか、

みたいな形で、また「心の病気」という状態を具体的に所作に落とし込んでいく必要もあり、

試行錯誤感が非常に強かったですが、結果的に凄く自分の中で手応えのある芝居になったのではないかなと思っています。

 

特にやっていて感じのは、

「人とうまくコミュニケーションが取れない」状態をお芝居でするためには、

相手の役者とすっごくコミュニケーションをとらなければならないんだな、ということで、

綺麗に虚を積み重ねることで表現したい実が生まれるんだな、ということを凄く思いました。

 

役者楽しいな、もっと色々とやりたいな、と改めて思えた貴重な機会でした。

が、gekidanUでは基本あんまり役者はやらないので、

どなたか是非僕を使ってやってくださいませんか。けっこう使い勝手良いです。よろしくお願いいたします。

こんなに深い行数で言ってもしょうがないな

 

今後の話

 

ProduceVol.2の終演とともに、「弔EXPO20」の初回情報公開をいたしました。

ぼちぼち出演者全員発表できるかと思います。

 

 

ここ数年何団体かさんと演劇フェス、って感じでやってきましたが、

今回はgekidanUのみでの野外本公演を予定しています。

 

理由としては、「ちょっと一回このタイミングで力試しをしようじゃないか」

という一言にまとまります。

 

ありがたいことにこの2年ほどでかなりgekidanU、飛躍した感があります。

劇団員も遠藤と僕の2人時代から随分増え、やれることも増え、

関わってくれる人も増え、お客さんも増え、という形で、大変ありがたい気持ちです。

その中でも看板になっていた「弔EXPO」、昨年は549名という驚きの規模になり、

ここで一回単独公演をやってみて現在地を測ろうじゃないか、と思っています。

 

上記以外にも、オリンピックと丸かぶりだからちょっと複数団体開催はリスキーかも

という現実的なアレもあったのですが、まさか無くなるとは

毎年「7月最終週~81週目」でやってるので、来年も同じ時期だと結果またかぶるんですが

 

単独公演になって具体的に変わるところで言うと、

舞台の組み方に自由度が一気にでます。近年は共通のセットを3団体で使いまわしていたのですが、

それを自分たちがやりたいようにできるので、やれることの幅は広がります。

 

既にかなり色々案はでているので、楽しみにしていただければと思います。

 

公演以外ですと、アトリエの貸し出し、ProduceVol.3の募集なども引き続き行っています。

 

社会性に溢れた人間しかいないので、ぜひぜひ、お気軽にご連絡くださいませ!

 

ではでは、みなさまくれぐれもご自愛の上、また元気にお会いできますことを!