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この手記を書くのも、お久しぶりになってしまいました。

申し訳ありません。主宰、脚本の遠藤遊です。

皆様の貴重なお休みの時間に「金星」を観劇してくださり、誠にありがとうございました。

家公演と題した公演は今回で3回目になりました。

家というのはつまり私の家であり、

ずっと見ている景色の中で演劇をすることに

当初は大丈夫なのか?という気持ちが少なからずありました。

私はとても客観視が苦手な人間でどうしても主観で物事を捉えてしまうんですね。

ですが、gekidanUのメンバーをはじめ、

今回オーディションに参加してくれた役者さん、

そして何よりもご来場いただいたお客様。

皆さんがこの家を喜んでくれて本当に嬉しく思います。

オーディションから始まったこの公演。

たくさんの方に出会えることが出来ました。

その中で私とヒガシで新宿の居酒屋で白熱した議論を交わし、

今回出演していただいた皆さんに

オファーをさせていただきました。

改めてみんなありがとう。

そして単独公演としては過去最多のお客様に

作品を見ていただいて本当に嬉しく思います。

本当にありがとうございました。

さて、電気マグロとヒガシがばっちりロジカルな手記を残してくれましたが、

主宰の私はというと…とても論理立てた書き物が苦手です。。

なのツラツラと最近あったお話をしようかと思います。

私事で恐縮ですが、

18歳から8年間続けていたフリーター生活を、去年の9月に終わらせ

11月から会社員として働きはじめました。

これまで通りの生活や常識は全く通用せず、

「これが会社員…」と入って3ヶ月くらいは見たことなかった世界にどっぷり衝撃を受けていました。

そして同時に月〜金まで働きながら芝居を平然としていたgekidanUのメンバーは化け物じゃないかと思っていました。

そんな中オーディションを行いキャストが決定し

今回の作品「金星」の〆切日が決まってしまったのです。

僕のキャパシティでは慣れない会社員をやりながら

先のことを考えて少しづつ台本を書くなんて器用なことは出来ず、

何を物語ればいいのか、そして何を見せたいのか、

考えても会社のことしか出てきません。本当に平行作業が苦手なのです。

「あー上司」違う「あー先方に電話」違う違う「明日の来訪は…」

違う違う違うぞ!!仕事のことじゃなくって…!!

あれ?

ここで1つ明確に意識が変わっていることに気がつきました。

俺はこれまでフリーターをしながら演劇をしていて

否が応でもgekidanUを仕事と呼んでいたじゃないか

どんなに馬鹿にされてもgekidanUが仕事だと、本を書くことが仕事だと

意地を張っていたじゃないか…と

フリーターをしていると「仕事」の定義がわからなくなることが

多々ありました。なんでもかんでも仕事と呼んで自分はこういう人間だ!

という名刺が欲しかったんですね。

でも今は会社員になりました。今の会社の業務は紛れも無い誰が見ても

仕事と呼べるでしょう。名刺も会社に入社した瞬間に貰いました。

そうかー今は仕事が出来たせいで

本を書くことは1番でない状況になってしまったんだ。

すっと肩の荷が下りました。

「好きなことを書こう」

義務としての1番じゃないなら

gekidanUは1番好きなことじゃないと意味がないなと

そう思ったのです。

会社に入って3ヶ月間、必死過ぎて

ほとんど残すことが出来なかった創作用のiPhoneのメモ

そこには

「雨なんてなくていいと思っていたけれど、なくなるとさみしいね。困るね。」

これだけ残っていました。いつ、どこで、どうして残したか分からないメモ。

だけどもあんなに名刺を欲しがってたいたのに、名刺交換のルールを間違えて部長に怒られた3ヶ月前の自分よ。

伝えたいことはよくわかったぞ!任せろ!と。偉そうに今の自分が。

ここから金星の執筆はスタートしました。

〆切までの短い時間はとても楽しかったです。

生活リズムはめちゃくちゃでした。

会社が終わり、朝4時まで書いて朝7時に家を出る生活でした。

間に合わない!間に合わない!面白くない!繋がらない!

1人リビングで頭を掻きむしりながら。

それでもやっぱり楽しかったんですね。

好きなことのためなら時間を無限に生み出すことは可能なんですね。

僕はgekidanUのメンバーのことを化け物あつかいしておりましたが、

やっぱり皆好きなことをやっているから、続くんだなと

主宰として、みんなが好きなことをやれているならと、

ほっと安心しました。

ヒガシのまとめる座組は本当に楽しそうで、

仲間に入れて欲しくて

脚本が上がったあとも、自宅でやっている稽古に

主宰の感じをバリバリ出しながら笑

たまにフラフラお邪魔してました。

たくさんのお客様ともお話し出来て、

打ち上げもしっかり酔っぱらえて

沢田研二の「勝手にしやがれ」を熱唱している最中に

当たり前ですが、また演劇をやりたいなと思いました。

これから先も

gekidanUも関わる人が全員じゃなくても

少しでも多くの人が、なくなるとさみしいモノになれば

いいなと思う今日この頃です。

本当に本当にありがとうございました。

さて次回!弔EXPOですね。

まだ一行も書けていませんが…笑

また違うアプローチで皆さんにお話をお届けできればと思っております。

どうぞこれからもよろしくお願いします。

gekidanU 遠藤遊

終わりましたね…

10連休が。

皆様いかがお過ごしでしたでしょうか。ヒガシです。

僕は後半熱海〜静岡(初SPACでした)〜京都〜越前〜金沢を周り、ガンガンに経済を回してきました。楽しかったです。
 

 
29日までは家公演企画Vol.3「金星」の本番でしたね。

本当に皆様ありがとうございました。

9ステージ、265名もお客さんが来ました。民家に。

すごいですね。ありがとうございます。
 

 
今回は(今回も)演出/舞監/出演を担当しました。

ほぼ現場を一人で偉そうに回してた感じになりますが、

スタッフ陣も盤石でしたし、

今回はなによりも演出目線で考えることの多い現場だったと思います。

gekidanUとして昨年から取り組んでいる家公演、Vol.3となってますが、

公演規模的にも役者の人数もここまでの規模でがっつり取り組んだのは初めてですし、

僕も他現場入りまくりで役者のみだったVol.1

弔EXPO内での開催でノータッチだったVol.2

って感じでしたので、はじめての取組が多かったように思います。
 
gekidanUとして芝居を作る上で、まずは主宰の遠藤と僕でなにをしたいか、みたいな話をするのですが、

今回に関しては、ザックリこの辺りかなと思っています。
 
●多用しがちなモノローグをできるだけ排除し、ワンシチュエーションの会話劇を作る。

●「いない人について語る」をやりたい。

●「外」の見せ方/繋がりの作り方。

●「家」に囚われすぎず、面白い使い方をする。
 
1番目はどちらかというと脚本の方向性の話で、

脚本の遠藤がわりかし内向的な情念みたいなものを書くのも好きなのですが、

「今回こっちでいこうよ」みたいなところで早い段階から話していました。
 
2番目は僕が言ったことで、

劇場以外の場所、特に「家」という圧倒的具象かつ閉鎖性の高い空間でこれをやると、

言葉の力と役者の力で豊かにできる余地があるではないかと思ってシナリオの検討の際にお願いしました。
 
3番目が特にいろいろと考えた部分で、

上記のように「家」の圧倒的な具象性によって「その外」という空間と隔絶された環境の中で、

より芝居を観ている際の観客の想像の奥行きを広げるためどうその特性を使うか、ということを考えていて、

例えば、家の中に入る先程まで現実で自分たちが存在していて、今は窓に隔てられている「外」に、

突飛な虚構の設定を乗っけてあげることによって、

より想像力や意識を開かれたものにできるのではないかと思っていました。

その中で

「例えば異常気象で雨がずっと降ってるとか」

「でも窓の外見たら実際降ってないのわかるよね…」

「見えないモノ…電波とか…?」

という流れがあり、そこから「金星」のだいたいのストーリーが出来上がってきました。
 
4番目は、9人の会話劇をやると決まった時点で思っていたことで、

家であるからと言って「日常の延長線上の芝居」を作る気持ちは毛頭ありませんでした。

だってあそこに9人で会話するのもう不自然だし、観客にとっても「人の家で芝居観る」って完全に非日常だし、

この環境で成立する「劇」をきちんと作って初めて本当に「家」を感じて、

この芝居が存在する意味ができると思っていました。
 
観客にも「お芝居を観に来たんだ」と身構えさせる必要を感じていて、

今回そこに大きく貢献したのがgekidanUが誇る電気工事士&照明、電気マグロの明かりで、

この辺りは彼本人がこちらのブログで書いているので読んでください。
 

 
他にも壁に黒板塗料を塗ってチョークで字をかけるようにしたり

美術よりぐちに「3階の窓から降りてきたい!はしごとかじゃないやつで!」と無邪気に頼み実現してくれた、

タイムマシーンの機構など、「家」というイメージを崩しにかかりました。
 
  
 
ただどれだけ崩そうが、ハードは完全に見るからに「家」なので、

その違和感は面白みに変わっていくと思っており、その中で役者がリアルに生の会話をしてくれれば、

それは相当観客の頭をゆらゆらさせることができるのではないかなと思っていました。
 
役者陣は本当にその役割を完璧に果たしてくれました。

僕は比較的性格の悪い演出の仕方をする自覚があるのですが、

皆様全力でついてきていただけました。

一人一人へのコメントは下記のツイートのツリーにまとめてあるのでよろしければどうぞ。
 


 
結果としては、本当にたくさんの素敵な反響をいただける公演となり、

動員としても野外公演も含めて単独公演としては最多となりました。

演出としても大きく成長できた公演でした。
 
本当に嬉しかったです。ありがとうございます。

今後ともがんばります。
 
今後のヒガシですが、来週、来月と1本ずつ舞台監督、

来月下旬に客演、7月末から弔EXPO、9月にも一本決定済ということで、

ありがたいことにいろいろとあります。

できる限り豊かに生き、観る人関わる人を豊かにできるような人になっていきたいです。

引き続き、よろしくお願いいたします。

家公演の舞台照明

こんにちは。照明の電気マグロと申します。
 
gekidanU 家公演企画Vol.3『金星』が終わりました。ご来場頂いた方、誠にありがとうございました。
 
 
あ、劇団ブログへの投稿は初めてなので、簡単に自己紹介をします。
 

電気マグロです。メンバープロフィールに書いているとおり、非劇場空間でのライティングを得意としています。

ブログ「照明機材の盛り合わせ」の筆者です。
 
大学時代に京都で演劇サークルの照明をやっていたら色々な団体に照明で呼んでもらえるようになり、就職してからも照明はライフワークにするぞと思っていました。そうしたら舞台美術のよりぐちの紹介で昨年の「弔EXPO’18」の照明をさせて頂くこととなり、そのまま流れで団員になってしまった次第です。
 
ずっと本名で活動していて、別に会社バレとかは問題ないので芸名(?)でやる必要もないのですが、上記のブログやtwitterをそれなりに読んでもらっているので、ネット上での宣伝をしやすくしたいなと思い、東京に来てからはこの名義で活動しています。
 
 
 
 
さて、本題です。記事タイトルのことです。
 
 
けっこう今回、照明に関して「こんなの家じゃないな(笑)」と冗談めかして言われることがありました。
果たしてそれは、100%「良い」と言えるものなのか?という自問自答です。
 
 
 
確かに今回、家公演にしては照明を本格的に作りました。特に、

・作中でキーとなる「タイムマシン」が起動され、飛び立つまでの一連の照明効果

・終盤に作中の「金星」の象徴である雨が降ってくるシーン以後の照明効果

の2点に関しては、明らかに「演出照明らしいこと」をやっているので、見ていた方にもすぐわかったと思います。

 

 
 

この部分については想定通りで、当初より演出のヒガシからも「こういうシーンの“けれん味”を出すために照明を使ってくれ」というオーダーがあったので、仕込み図面の段階から「ベランダ」部分の灯体密度がかなり濃くなっています。

kinsei_tsuri_blog
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よって、ここがド派手な「いかにも舞台演出照明!」になるのは全く問題ありません。
 
 
問題は、家の内側の部分。物語のほとんどの時間が過ごされる、リビングの照明です。
 
実は今回、35ページある台本のうち、3ページ~24ページまでは照明変化がありません。「家のリビングの明かり」が約1時間に渡って継続されます。
 
 
個人的な信条として、演劇照明の主な役割のひとつが「日常性⇔非日常性のコントロール」だと思っているので、このシーンについては「日常に全振り」で作るべき、のはずです。
 
しかし実際には、このシーンの照明についても「舞台っぽいね」という評を、直接ではないにせよ、ちらほら頂いたような気がします。
 
これが想定外でした。プランナーとしては「日常全振り」で作ったつもりなのですが、少し「非日常」の下駄が履かされていたようです。
 
 
 
…理由は多分、これ。

シーリング

上のシミュレーション画像で光っている方向からの明かりです。劇場で言う「前明かり」に相当する明かり。
 
 
この明かりが無いと真上からの明かりだけになってしまい、役者の表情がよく見えないという致命的な欠点があります。
 
 
よって、演劇の照明では必ず使われる明かりです。当然今回も、日常のシーン全般にわたって、前明かりを70%程度の明るさで点灯していました。
 
 
ところがどうも、これが「非日常」の成分を持っていて、本来「家なのに舞台照明してるね~」と言われる想定をしていなかった、日常のシーンまでが「舞台照明してる」になってしまった可能性が否めません。
 
…まあ、一般家庭の生活用の明かりとしては存在しない方向の明かりですから、当然と言えば当然です。
 
しかし、(舞台照明を見慣れた)自分が思っているよりも、この明かりの非日常成分は強かったのかもしれません。
 
 
…そういうわけで、好評を頂いた「あちら側」(ベランダ側) の照明とは全然違うところで、勝手に思うところのあった公演でした。(笑)
 
 
 
 
アフタートークでお呼びした「裃-這々」さんは、家公演と言っても全く照明などを使用しない、素の家を使うそうです。
 
多少の照明効果を差し置いても、そっちの方がいい場合もあるのかもしれないな……