The Blog


今日のご飯、次の楽しみ

最近、今までやっていたバーの仕事の他に、南千住にあるゲストハウスのスタッフとして働きはじめた。

勤務時間は9:30〜18:30まで

今までは夜中まで営業している職場のバーに、グダグダ深夜2時くらいまでいて、そのあとお客さんと飲みに行って始発で帰ることが多く、何も用事が無ければ昼はずっと寝ていた。

だから昼食がなんて無いのが当たり前で、1日1食賄いだけみたいな生活だった。

でも昼間働きだすと、やっぱりお腹は空くもので、ここ最近は近くの食堂で昼食を取っている。

「仙成食堂」南千住にある老舗だ。

4年くらい前までは、山谷にいる労働者が利用していた余波で朝5時から営業していた。

僕らが20歳前後だった4年前、朝まで仲間と稽古して、この食堂でよく分からないなりにお芝居について話していたのを思い出す。

店「お、久しぶりです!またやんの?」

僕「はい、4月に家の中で芝居やります」

店「いいねー、またチラシ持ってきてよ、貼るからさ」

そんな何気ない会話が僕の活力になる毎日だ。

 

昨日はモツ煮込み定食を頼んだ。

となりの客は卵焼きを食べていた。とっても美味しそうだった。

どうやら+180円で卵焼きも頼めるらしい。

次に行った時は卵焼きを頼もう。

そんな些細な楽しみが肉体的にも精神的にも生活を支えてくれる。

ハンドメイド

ハンドメイドつまり手作りするっていうのは、とっても大変なそして手間のかかることだ。

最近は3Dプリンターとかもあって、何かを形成することに関してはコンピューターの方が正確で早くてそして何故か安心感があるような気もする。

例えば、手作りの料理は、提供も遅いし、値段も高い。

ましてや友達や恋人が手作り料理を作ってくれたらなんだか褒めなきゃいけない気もする。

うーん、めんどくさい笑

じゃーファーストフードにしようかななんて思ったり

 

僕の母は陶芸家だった。だから陶芸家の知り合いが沢山いる。

僕も幼い頃から登り窯(ノボリガマ)とか釉薬(ユウヤク)とか、訳の分からん陶芸独特の行程を母や母の仲間があーでもない、こーでもないって汗を垂らしながら、試行錯誤してきたのを見てきた。

登り釜は、三日三晩ずっと同じ温度で燃やし続けないといけないから、睡眠を交代しながら薪を入れ続けないといけない。

釉薬は、塗った色になる訳じゃなくて、焼いてみないと予想通りの色になるかはわからない。

なんでこんな面倒なことをやるのだろうと子供ながらに思っていた。

で、この落としたらそっこーで割れるお皿が5万!?は!?ゲームめちゃ買えるやん!!って(笑)

それこそデパートでお皿買って絵の具で塗ればいいじゃん!!って(笑)

 

…忘れないでいたいのは、母の焼いたお皿で僕はご飯を食べていたこと。

母が陶芸家として誰かを感動させていたこと。だから僕はお金に困ることなく育ったってこと。

訳の分からん、ノボリガマやユウヤクこそ値段であり価値なんだってこと。

 

演劇でいうと稽古もそうだ。

稽古で辛かったこと悩んだことが2000円のチケット代になること、忘れちゃいけない。

遠藤遊

DSC_0108

「きっと、綺麗な赤の上で」

「きっと、綺麗な赤の上で」稽古が今日始まりました。

これから約一ヶ月キャストスタッフ足並み揃え、初めての家公演に向けて進んで行きます。

 

gekidanUの公演に見てきていただいた方はご存知かもしれませんが、僕らはいつも駐車場を劇場にしています。そしていつも美術としてそびえ立っている家があります。

この家には普段僕が住んでいます。

17の頃家を追い出されてからもう8年です。早い。

この8年間この家には色々なドラマがありました。

友達がたくさん集って、いなくなって

彼女と同棲して、別れて

それは何も変哲もないドラマです。

ただ生活の中で生まれるものこそ、本当に僕が伝えたい物語なんじゃないかなと思っています。

泣いて笑って怒って

当たり前のことが、当たり前のように毎日起こる。感情が鼓舞する。消えたくなる日もあれば、スポットライトで照らしてほしい日もある。

それが、毎日、それが、生活、それが普通です。

わかりやすいクライマックスや見せ場やオチなんてないかもしれないけど、

生活の中でしか生まれないお話を、紡いでいきたいと思います。

「生活劇」始動します。よろしくお願いします。

 

遠藤遊