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ごあいさつ(ヒガシ)

はじめましての方もそうでない方も、こんにちは。ヒガシナオキです。

gekidanUで役者やら舞台監督やら美術やら制作やらHP管理やらいろんなことをやっています。

要はあれです。自分がやってみたいことを全部やっています。それがわざわざ劇団に属しているメリットかなぁと思うので、やりたい放題やってます。

HPが新しくなって一番テンションが上がっているのは多分僕です。ちまちま更新し続けています。どうすればもっとビューが増えるのか、わかる人教えてください。

僕らがやってること、試み自体は面白いと思うので、もっとちゃんと面白くできるように、頑張っていきたい所存です。

劇団、ヒガシ共々応援していただけると嬉しいです。よろしくお願いいたします。

 

さてさてリニューアル後初回の投稿ですが、また野外劇をやるに際して、思っていることがあって、覚え書きとして自分と「東京」、自分と「都市」についての話をします。

 

「社会」と呼ばれるものに自分の身を投げ出してから、よりいっそう「東京」と自分との関係性、というものを考えるようになりました。

色々な人が腐るほど言ったり使ったりしていると思いますが、改めて、
「東京」には、例えば『冷たいコンクリートジャングル』とか、都市機能とは別の「物語としての東京」という記号、役割、構造があります。

そういった「物語としての東京」または「物語として語られる東京」に対して、提示されたものと同じ温度感をもって触れられない感覚が常にあります。

中学、大学と6年間弱離れていたのですが、僕は基本的に東京で生きてきたし、育てられてきたと思っています。地元は?と聞かれれば東京と答えます。
とはいえいわゆる「江戸っ子」的な、そういうのではないです。何か起きると「閑静な住宅街」と紹介されるような、23区の西の方です。

僕が生きてきたこの「感じ」は、物語として「東京」をとらえる時には、その枠の中に入っていない、そう感じることが多々あります。
23年間ずっと東京で生きていたら、きっと違うことを考えているはずなのだろうけれども。

僕らが野外劇をやる南千住は、「開発と隣合わせの下町」というおあつらえ向きな固有の物語を持っていて、街、都市の肌触りが鮮明なそんな場所です。
そこで普段は駐車場として、都市機能の1つになっているそんな場所で表現をすることは、自分と都市との関係性を確認すること、自分の現在地を認識することなのではないか、と思っています。

いやまあ普通に楽しいからっていうのもあるんだろうけどさ。

わくわくです。よろしくお願いいたします。