手記


街の明かりと前明かり

こんにちは。照明の電気マグロです。

野外劇イベント『弔EXPO’19』が終演しました。ご来場いただいた延べ549名の皆様、暑い中ありがとうございました。

私個人としては、昨年に引き続き2回目の弔EXPO、かつ劇団員としては初めての「弔」でありました。(昨年はまだ、gekidanUメンバーになっていなかったのです)

照明技術的には、おっかなびっくりだった昨年に比べて多少ステップアップした実感があります。

↓螺旋階段をLEDテープで光らせたりとか…、
螺旋階段が光っている画像

建物外壁のライトアップ的な要素にも多少気を配ったりとか。

実は、昨年の『弔EXPO’18』や、今年の春に行った屋内公演『金星』を通じて、家の色々な場所の電気配線を演劇公演で使いやすいように改造しておりまして、その積み重ねがあらわれてきたかな、という感じです。




さて、本題です。
記事タイトルにした『街の明かりと前明かり』。なんだか “エモい” 、感覚的なタイトルになっていますね……。

昨年の振り返りは、私の個人ブログ「照明機材の盛り合わせ」の方に書いたのですが、この記事を今見返すと、かなりハード的な考察に偏っているというか、「初めて野外劇照明をやった人の気付き」をまとめた文章になっています。

それに比べると、今年はもう少しこなれてきて、 “照明哲学” とでも言いましょうか、より感覚面での考察ができるようになってきたかなと思い、こんなテーマにしてみました。

まず、「前明かり」というのは舞台照明の専門用語で、客席側から演者に向かって投光される明かりを指します。
演者の顔を明るくすることが目的で、演劇には必須の明かりです。

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▲市民会館にありがちな「フロントサイド」という前明かりの一種。

一方でこの前明かりは、かなり「平坦な」明かりであると言えます。

前明かり単独で点灯した場合、人やモノの立体性を表現することができず、のっぺりした/平板なイメージになってしまいます。
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また、そもそも前明かりは日常生活では使わない方向の明かりです。
(リビングやキッチンに、自分の顔を強く照らし出すスポットライトは設置されていません。)

よって、前明かりはそれ自体、かなり「非日常性」の強い明かりと言えます。

演劇照明の重要な役割の一つが「日常⇔非日常のコントロール」ですが、
仮に前明かりしかなかったとしたら、常に “非日常全振り” 状態になってしまい、コントロールができません。明かり作り (絵作り) の時にネタ切れになってしまい困ることでしょう。

この時点で、前明かりのみで演劇に求められる様々な照明効果を挙げることは非常に難しいと言ってよいでしょう。
やはりどうしても、演出照明には斜め/横/上からの明かりが必要になってくるのです。

ところが、今回の照明仕込み図を見てみるとどうでしょう。
(クリックで大きくなります)
tsuri_190813_blog

一般の方にも分かりやすいように灯体の記号だけにしてみました。

ほとんどが、客席から舞台方向を照らす明かりであることが分かると思います。
つまり前明かりです。

おい!さっきあんなに「前明かりだけでは成立しない」って言ってたのにどういうことだ!って話ですよね。

…これ、自分でも不思議でした。

単純にリソース(機材や仕込み労力)の問題もあって前明かり偏重になった面もあるのですが、
昨年から「なぜか絵作りの時にネタ切れになることが無い」のです。

そこで今年、なぜだろうと色々思考を巡らせてみた結果、2つの結論に行き当たりました。
  1. 東京の夜が明るいから
  2. 家と街並みが立体だから
それぞれ、ここまでに述べたこととどう関連するのか、以下に説明していきます。

まず 「1. 東京の夜が明るいから」。これは、前明かりはそれ自体非日常成分が強い、ということと関連します。
それがゆえに、「やはりどうしても、演出照明には斜め/横/上からの明かりが必要になってくるのです」と書きました。

ところが、この南千住野外劇場には、すでに「日常性」の担保となる上や斜めからの明かりが最初から存在しています。

そう、「東京の夜が明るいから」です。

午後8時頃の、舞台照明をすべて消灯した状態(いわゆる暗転状態)の写真を見てみましょう。
IMG_3028

いやめっちゃ明るいやん。

この状態でも客席撤収など簡単な作業は可能な明るさです。

写っていませんが、画像左からはアパートの廊下の明かりが、右手前には街灯が立っています。
それ以外にも、周辺の家々の明かりが合わさって、「何もしなくても “地明かり” は成立している」と言っても過言ではありません。

地明かりがある程度成立しているので、あとは役者の顔を取る前明かりをふんわり足してあげれば、演劇的には「日常」の明かりを作り出せます。

…実際にはそんなに理想的にはいかず、劇場の明かりに比べると当然「前明かり偏重感」は否めませんが、そもそも駐車場で演劇が開演するという事態が非日常であるため、そのあたりとのバランスの結果、不自然ではない程度に落ち着いたと思います。
gekidanu_finalstage

まとめると、「街の明かりに助けられて、前明かり偏重の仕込みでも大きな問題なく照明を作れた」と言えるでしょう。

ちなみに、この状態で “わざわざ” トップ (上から) の地明かりを追加すると、そこだけ別空間のような扱いにできます。
舞台下手のバーカウンターにトップ明かりを当てることで、「BAR/スナックのシーン」 (=劇中では屋内になるはず) を他のシーンと差別化することができました。

下の画像では、バーカウンター部分のトップ明かりとその効果がよく確認できると思います。
gekidanu_bar_counter

次に、「2. 家と街並みが立体だから」。
これは、「前明かり単独だと平板なイメージを与える」と書いたことと関係しています。

もう勘のいい方ならお分かりだと思いますが、「街並みが十分な立体性を持っているので、それに助けられて前明かりだけでも何とかなった」ということです。

特に、今回家の中の照明もコントロールできるようにしていたのですが、家の中の明かりを点けるとそれだけで奥行きと立体感がグッと上がるんですよね。これは「ずるい」。
gekidanu_blue

あと、前明かり単独の平板な明かりは、個人的に「虚無」とか「何もない」印象を与えると考えています。

そこで、今回のキャンディプロジェクトさんの演目では、バーカウンターのトップ明かりを点灯している時は「BAR」のシーン、
点灯していない (前明かりのみ) 状態は「BARで楽しい時間を過ごした翌朝」のシーン、というように使い分けて、その虚無感を利用していました。

このように、2年連続で前明かりに偏った照明仕込みではありましたが、南千住の街とのバランスも含めて、何とか演劇の明かりとして成立させた2週間でした。

ちなみに、上の写真には転がし (地面置き) の赤い投光器が写っていますが、これも前明かり偏重な仕込みにおいては重要な役割を果たしています。
この話は、また別の機会に。

秋ですね。秋です。

こんばんはヒガシです。

今年も弔EXPOが終わりました。皆々様、本当にありがとうございました。

終わった直後の本日8月5日は、今までの炎天下での労働が嘘のように、

本当に暑さにやられた結果17時には自宅に籠もり、極力体を動かさないように仕事をしたり、

個人アカウントと劇団アカウントを反復横跳びしながらTwitterを更新したりしていました。

寝る前に今年の夏を総括して今日を終わらせようと思います。

弔が終わると夏の終り感が凄いのです。

今年はなんというか、けっこうな手応えとともにものすごく成功したんですね。

なので話そうと思えばいくらでも話せてしまえるので、簡潔に行こうと思いますが、まずは

 

今年の弔EXPOを簡単にまとめると、

①ことしも楽しかった

②人がたくさんきてびっくりした嬉しかった

③たくさんいろんな虫に刺された

です。

 

①と②が両立されたことは素晴らしいことです。

述べ549名の観客数(「1日通し券」=2団体観る方は2名としてカウントなのでユニークは412名)は、

過去の最高動員を180名以上上回る形になりました。

千秋楽の舞台芸術創造機関SAIさんなんて70名入りましたからね、びっくりしました。駐車場なのに普段。

SAIさんとキャンディプロジェクトさんとの3団体での実施で、

それぞれの団体さんのお客さんが初めて南千住に来てくれることにも大変価値と喜ばしさを感じています。

①に関しては、「役者をやらずに舞台監督/演出/制作等だいたいの統括」という初めての立場で、

今までの感じとは明確な違う感じがあって、立場上お小言言わなきゃいけない場面もそれなりにあり、

「あ〜〜〜もっとヘラヘラしたいなぁ〜〜〜」と思わないこともなかったですが、

これだけたくさんの人が参加してくれてたくさんのお客さんが観に来るイベントに、

気づいたら成長していた弔EXPOを、今までの記憶や経験とともに引っ張れるのは楽しかったし、

「自分が出ずにやる演出」も初だったので、上演中周辺警備をしながら観てた芝居はとても新鮮でした。

 

ただ今までよりもずっとめちゃくちゃ疲れており、結果完全に③に結びついたので、無理はしすぎないようにしようと思いました。未だに体中がかゆいです。

 

劇場空間について

 

まず今年も野外劇をやる上で、一つ今までと違う面がありました。

今までは家と客席が完全に正対する形で作っていたのですが、

今年は四角形の土地の一角がセンター(下記の写真の自販機辺り)になる形で、

家が下手、公道に面している辺が上手のL字のような舞台にしました。

 

 

 

これは単純に僕らが同じ向きに飽きてしまったこともありましたが、

こうして客席を45度振ることで、「完全に背後になってしまう辺」がなくなり、

お客さんが空間に対して感じられる情報量が増えて面白い感じになるのではないかなと思ってやってみました。

 

とはいえ上手側の人通りの多い公道をそのまま背景にしてやるのはかなりリスキーだな、

ということで、上手側には幕を張ってみたのですが、これはコレで大変おもしろい効果になりました。

下手が家という具象の最たるものに対して上手に虚構の幕が張られ、

しかしそのすぐ上には向かいの住宅や交通標識が並び、空間の手応えによい効果をもたらしたのではないかなと思います。

お客さんとしても視界の開け方と情報量の面で、今までの形よりもよかったのではないかな…

と勝手に思っています。

 

あとは何より借景ができたのでテント劇団出身の僕としては嬉しかったです。笑

 


 

そして今回でいうとなによりコレです。螺旋階段。

ウチの美術よりぐちさんが突如言い出した「螺旋階段って作れるっぽい、作りたい」

を信じた結果がこれです。頭がおかしい、凄い。

1週目は常設だと思われたのかあまり話題にならなかったくらいでした。

 

 

 

「イントロダクション」について

 

毎回なんとなくのテーマやモチーフ、流れを脚本の遠藤とすり合わせるのですが、

今回はまったくなく、かつあがってきたタイミングもいつもより遅く、

かつこれはいつもなのですが「いやここどこだよ前のシーンとどう繋げんだよ」

みたいな演出泣かせな本を書いてくるので、最初はそれなりに試行錯誤があったんですが、

結果的には脚本と演出を分けてることにちゃんと意味を出せた演目になったかなと思います。

 

演出の過程でざっくざくセリフを切ったり付け足したりするのは、

「伝えたいことが変わらなければ」という条件で僕と遠藤の中では認められていて、

今回はかなり色々手は加えましたが、特に大丈夫だったみたいで安心しています。

お話についてですが、「死んだ妹の霊」という要素が一つ有りつつも、

内容と話の流れとしてはスタンダードな会話劇になっていて、見やすくはなっていたのかなと思いますが、

「引きこもりが世界を好きになる」というある意味ちょっとした心の動きに主題があって、

それをきちんと成立させるために必要なことで最も役者に意識してほしかったのは、

《「街」の中/内側の人々》という認識を持って皆でそれを作り上げることです。

「同じコミュニティに住んでる人のことは皆なんとなくわかってる」という、

ある種「下町」のイデアみたいな世界観を、芝居の中で作ることを何より大事にしたかったです。

 

なぜならこの芝居が、実際に8年も野外劇をやらせてくれる人情味あふれる南千住でやるから、です。

これを例えば閑静な住宅街でやれと言われたら(言われるわけないけど)、

違う演出になってると思います。

 

これを組み立てる上でポイントになったのは、唯一の「街の外の人」である霊能者の香苗と、

内側の人間の中でも「街」に店を持ち、当初香苗に露骨に冷たい態度を取るバーの店主帆鳥で、

特に帆鳥さん役の下村さんを稽古中にかなり詰めたのは、ここがちゃんと成立しないと、

お話としての強度が生まれないからでした。でもかなり言ったね、ごめんて。

これが皆でちゃんと共有できて、セリフでは一切説明してない「街」が立ち現れたときは、

不思議とお客さんの反応がビビットになるので、面白いなぁと思ってみてました。

本当に新米演出家としても学びの多い公演でした。

 

そして今回僕が演出に専念した初めての公演で、けっこう試行錯誤していたのですが、

本当に面白い役者さん達が揃ってくれました。ありがとうございました。

皆楽しんで、今後に向けて何か持ち帰ってくれてれば嬉しいです。

せっかくなんで、各々ちょっとだけそれぞれについてコメントしていきます。

 

源;野口大介

色んな意味で今まで出会ったことないタイプの役者で、

不器用が魅力になるってこういうことなんだなと感心しつつ、

羨ましさと難しさを感じながら演出していた。

ある種一緒に試行錯誤しながら、この期間で芝居はすごくうまくなったと思う。

 

カンナ;横濱さくら

初舞台でこれを出しちゃうのか、本番初日の衝撃と言ったらなかった。

天才なんて軽々しく言いたくはないけど、

何かを惹き付ける魅力を確かに感じて、幸せな期間だった。

 

多恵;関原吏紗

本番になって客の前に見せて初めて、「多恵さんの話」

として成立していることに恥ずかしながら気づいた。

関原さんにこういう役を振ったことは我ながらすごくよい選択だったと思う。

 

香苗;庄司悠希(演劇集団円)

しょっぱなの本読みの段階から全く違和感がなく、

すごく安心してみていたし、ベランダとの会話の際の抜けがとても気持ちいいなと思いながら聞いていた。

他の人でもうイメージができないくらい役を引き寄せてくれた気がする。

 

瑠奈;郡詩歩美

ちゃんとこの子の面白さが伝わってよかった…と、

Twitterやアンケートを観ながら思っています。

できない、にしっかりと向き合ってくれた期間だったと思う、ありがたかったです。

 

風;鈴木明日歌(gekidanU)

印象で損をしているタイプなのは付き合いも長いからよくわかっている、

抑えるところはちゃんと抑えてくれる真摯な芝居をするので面白いなと思ってみてる。

今回のOP/ED曲も大変よかったです。

 

帆鳥;下村真梨奈

「金星」がそういう役じゃなかった分、

稽古中わかりやすく苦しんでたし苦しめた気はする。

最後のセリフは100%僕が付け足したセリフで、

これが力抜いてに素直に音にできた時に、ああよかった間違ってなかったと思った。

 

藍子;橙田かすみ

「橙田さんの中にもいる藍子の要素」

を見つけるまでは大変だったかもしれなかったけど、

見つけて/踏ん切りがついてからの安定性と信頼度は群を抜いていた。

 

直;川村玲於奈

多分頼めなかったら僕がやってた役、

パッと見の印象に対して戦術理解度が実は非常に高く、本当にいてくれてよかった。

今後も良い現場をたくさん踏んでいってほしい。

 

 

最後に、今回はすごく「gekidanU」としてちゃんとやれたな、と思っており、ます。

いいアー写だ。これからも色々やっていきます。お楽しみに。

 

 



 

 

たくさん書いたなぁ。

とにかくもう、楽しかったんですね。

 

引き続き僕らを、我々をよろしくお願いいたします!
この手記を書くのも、お久しぶりになってしまいました。

申し訳ありません。主宰、脚本の遠藤遊です。

皆様の貴重なお休みの時間に「金星」を観劇してくださり、誠にありがとうございました。

家公演と題した公演は今回で3回目になりました。

家というのはつまり私の家であり、

ずっと見ている景色の中で演劇をすることに

当初は大丈夫なのか?という気持ちが少なからずありました。

私はとても客観視が苦手な人間でどうしても主観で物事を捉えてしまうんですね。

ですが、gekidanUのメンバーをはじめ、

今回オーディションに参加してくれた役者さん、

そして何よりもご来場いただいたお客様。

皆さんがこの家を喜んでくれて本当に嬉しく思います。

オーディションから始まったこの公演。

たくさんの方に出会えることが出来ました。

その中で私とヒガシで新宿の居酒屋で白熱した議論を交わし、

今回出演していただいた皆さんに

オファーをさせていただきました。

改めてみんなありがとう。

そして単独公演としては過去最多のお客様に

作品を見ていただいて本当に嬉しく思います。

本当にありがとうございました。

さて、電気マグロとヒガシがばっちりロジカルな手記を残してくれましたが、

主宰の私はというと…とても論理立てた書き物が苦手です。。

なのツラツラと最近あったお話をしようかと思います。

私事で恐縮ですが、

18歳から8年間続けていたフリーター生活を、去年の9月に終わらせ

11月から会社員として働きはじめました。

これまで通りの生活や常識は全く通用せず、

「これが会社員…」と入って3ヶ月くらいは見たことなかった世界にどっぷり衝撃を受けていました。

そして同時に月〜金まで働きながら芝居を平然としていたgekidanUのメンバーは化け物じゃないかと思っていました。

そんな中オーディションを行いキャストが決定し

今回の作品「金星」の〆切日が決まってしまったのです。

僕のキャパシティでは慣れない会社員をやりながら

先のことを考えて少しづつ台本を書くなんて器用なことは出来ず、

何を物語ればいいのか、そして何を見せたいのか、

考えても会社のことしか出てきません。本当に平行作業が苦手なのです。

「あー上司」違う「あー先方に電話」違う違う「明日の来訪は…」

違う違う違うぞ!!仕事のことじゃなくって…!!

あれ?

ここで1つ明確に意識が変わっていることに気がつきました。

俺はこれまでフリーターをしながら演劇をしていて

否が応でもgekidanUを仕事と呼んでいたじゃないか

どんなに馬鹿にされてもgekidanUが仕事だと、本を書くことが仕事だと

意地を張っていたじゃないか…と

フリーターをしていると「仕事」の定義がわからなくなることが

多々ありました。なんでもかんでも仕事と呼んで自分はこういう人間だ!

という名刺が欲しかったんですね。

でも今は会社員になりました。今の会社の業務は紛れも無い誰が見ても

仕事と呼べるでしょう。名刺も会社に入社した瞬間に貰いました。

そうかー今は仕事が出来たせいで

本を書くことは1番でない状況になってしまったんだ。

すっと肩の荷が下りました。

「好きなことを書こう」

義務としての1番じゃないなら

gekidanUは1番好きなことじゃないと意味がないなと

そう思ったのです。

会社に入って3ヶ月間、必死過ぎて

ほとんど残すことが出来なかった創作用のiPhoneのメモ

そこには

「雨なんてなくていいと思っていたけれど、なくなるとさみしいね。困るね。」

これだけ残っていました。いつ、どこで、どうして残したか分からないメモ。

だけどもあんなに名刺を欲しがってたいたのに、名刺交換のルールを間違えて部長に怒られた3ヶ月前の自分よ。

伝えたいことはよくわかったぞ!任せろ!と。偉そうに今の自分が。

ここから金星の執筆はスタートしました。

〆切までの短い時間はとても楽しかったです。

生活リズムはめちゃくちゃでした。

会社が終わり、朝4時まで書いて朝7時に家を出る生活でした。

間に合わない!間に合わない!面白くない!繋がらない!

1人リビングで頭を掻きむしりながら。

それでもやっぱり楽しかったんですね。

好きなことのためなら時間を無限に生み出すことは可能なんですね。

僕はgekidanUのメンバーのことを化け物あつかいしておりましたが、

やっぱり皆好きなことをやっているから、続くんだなと

主宰として、みんなが好きなことをやれているならと、

ほっと安心しました。

ヒガシのまとめる座組は本当に楽しそうで、

仲間に入れて欲しくて

脚本が上がったあとも、自宅でやっている稽古に

主宰の感じをバリバリ出しながら笑

たまにフラフラお邪魔してました。

たくさんのお客様ともお話し出来て、

打ち上げもしっかり酔っぱらえて

沢田研二の「勝手にしやがれ」を熱唱している最中に

当たり前ですが、また演劇をやりたいなと思いました。

これから先も

gekidanUも関わる人が全員じゃなくても

少しでも多くの人が、なくなるとさみしいモノになれば

いいなと思う今日この頃です。

本当に本当にありがとうございました。

さて次回!弔EXPOですね。

まだ一行も書けていませんが…笑

また違うアプローチで皆さんにお話をお届けできればと思っております。

どうぞこれからもよろしくお願いします。

gekidanU 遠藤遊

終わりましたね…

10連休が。

皆様いかがお過ごしでしたでしょうか。ヒガシです。

僕は後半熱海〜静岡(初SPACでした)〜京都〜越前〜金沢を周り、ガンガンに経済を回してきました。楽しかったです。
 

 
29日までは家公演企画Vol.3「金星」の本番でしたね。

本当に皆様ありがとうございました。

9ステージ、265名もお客さんが来ました。民家に。

すごいですね。ありがとうございます。
 

 
今回は(今回も)演出/舞監/出演を担当しました。

ほぼ現場を一人で偉そうに回してた感じになりますが、

スタッフ陣も盤石でしたし、

今回はなによりも演出目線で考えることの多い現場だったと思います。

gekidanUとして昨年から取り組んでいる家公演、Vol.3となってますが、

公演規模的にも役者の人数もここまでの規模でがっつり取り組んだのは初めてですし、

僕も他現場入りまくりで役者のみだったVol.1

弔EXPO内での開催でノータッチだったVol.2

って感じでしたので、はじめての取組が多かったように思います。
 
gekidanUとして芝居を作る上で、まずは主宰の遠藤と僕でなにをしたいか、みたいな話をするのですが、

今回に関しては、ザックリこの辺りかなと思っています。
 
●多用しがちなモノローグをできるだけ排除し、ワンシチュエーションの会話劇を作る。

●「いない人について語る」をやりたい。

●「外」の見せ方/繋がりの作り方。

●「家」に囚われすぎず、面白い使い方をする。
 
1番目はどちらかというと脚本の方向性の話で、

脚本の遠藤がわりかし内向的な情念みたいなものを書くのも好きなのですが、

「今回こっちでいこうよ」みたいなところで早い段階から話していました。
 
2番目は僕が言ったことで、

劇場以外の場所、特に「家」という圧倒的具象かつ閉鎖性の高い空間でこれをやると、

言葉の力と役者の力で豊かにできる余地があるではないかと思ってシナリオの検討の際にお願いしました。
 
3番目が特にいろいろと考えた部分で、

上記のように「家」の圧倒的な具象性によって「その外」という空間と隔絶された環境の中で、

より芝居を観ている際の観客の想像の奥行きを広げるためどうその特性を使うか、ということを考えていて、

例えば、家の中に入る先程まで現実で自分たちが存在していて、今は窓に隔てられている「外」に、

突飛な虚構の設定を乗っけてあげることによって、

より想像力や意識を開かれたものにできるのではないかと思っていました。

その中で

「例えば異常気象で雨がずっと降ってるとか」

「でも窓の外見たら実際降ってないのわかるよね…」

「見えないモノ…電波とか…?」

という流れがあり、そこから「金星」のだいたいのストーリーが出来上がってきました。
 
4番目は、9人の会話劇をやると決まった時点で思っていたことで、

家であるからと言って「日常の延長線上の芝居」を作る気持ちは毛頭ありませんでした。

だってあそこに9人で会話するのもう不自然だし、観客にとっても「人の家で芝居観る」って完全に非日常だし、

この環境で成立する「劇」をきちんと作って初めて本当に「家」を感じて、

この芝居が存在する意味ができると思っていました。
 
観客にも「お芝居を観に来たんだ」と身構えさせる必要を感じていて、

今回そこに大きく貢献したのがgekidanUが誇る電気工事士&照明、電気マグロの明かりで、

この辺りは彼本人がこちらのブログで書いているので読んでください。
 

 
他にも壁に黒板塗料を塗ってチョークで字をかけるようにしたり

美術よりぐちに「3階の窓から降りてきたい!はしごとかじゃないやつで!」と無邪気に頼み実現してくれた、

タイムマシーンの機構など、「家」というイメージを崩しにかかりました。
 
  
 
ただどれだけ崩そうが、ハードは完全に見るからに「家」なので、

その違和感は面白みに変わっていくと思っており、その中で役者がリアルに生の会話をしてくれれば、

それは相当観客の頭をゆらゆらさせることができるのではないかなと思っていました。
 
役者陣は本当にその役割を完璧に果たしてくれました。

僕は比較的性格の悪い演出の仕方をする自覚があるのですが、

皆様全力でついてきていただけました。

一人一人へのコメントは下記のツイートのツリーにまとめてあるのでよろしければどうぞ。
   
結果としては、本当にたくさんの素敵な反響をいただける公演となり、

動員としても野外公演も含めて単独公演としては最多となりました。

演出としても大きく成長できた公演でした。
 
本当に嬉しかったです。ありがとうございます。

今後ともがんばります。
 
今後のヒガシですが、来週、来月と1本ずつ舞台監督、

来月下旬に客演、7月末から弔EXPO、9月にも一本決定済ということで、

ありがたいことにいろいろとあります。

できる限り豊かに生き、観る人関わる人を豊かにできるような人になっていきたいです。

引き続き、よろしくお願いいたします。

家公演の舞台照明

こんにちは。照明の電気マグロと申します。
 
gekidanU 家公演企画Vol.3『金星』が終わりました。ご来場頂いた方、誠にありがとうございました。
 
 
あ、劇団ブログへの投稿は初めてなので、簡単に自己紹介をします。
 

電気マグロです。メンバープロフィールに書いているとおり、非劇場空間でのライティングを得意としています。

ブログ「照明機材の盛り合わせ」の筆者です。
 
大学時代に京都で演劇サークルの照明をやっていたら色々な団体に照明で呼んでもらえるようになり、就職してからも照明はライフワークにするぞと思っていました。そうしたら舞台美術のよりぐちの紹介で昨年の「弔EXPO’18」の照明をさせて頂くこととなり、そのまま流れで団員になってしまった次第です。
 
ずっと本名で活動していて、別に会社バレとかは問題ないので芸名(?)でやる必要もないのですが、上記のブログやtwitterをそれなりに読んでもらっているので、ネット上での宣伝をしやすくしたいなと思い、東京に来てからはこの名義で活動しています。
 
 
 
 
さて、本題です。記事タイトルのことです。
 
 
けっこう今回、照明に関して「こんなの家じゃないな(笑)」と冗談めかして言われることがありました。
果たしてそれは、100%「良い」と言えるものなのか?という自問自答です。
 
 
 
確かに今回、家公演にしては照明を本格的に作りました。特に、

・作中でキーとなる「タイムマシン」が起動され、飛び立つまでの一連の照明効果

・終盤に作中の「金星」の象徴である雨が降ってくるシーン以後の照明効果

の2点に関しては、明らかに「演出照明らしいこと」をやっているので、見ていた方にもすぐわかったと思います。

 

 
 

この部分については想定通りで、当初より演出のヒガシからも「こういうシーンの“けれん味”を出すために照明を使ってくれ」というオーダーがあったので、仕込み図面の段階から「ベランダ」部分の灯体密度がかなり濃くなっています。

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よって、ここがド派手な「いかにも舞台演出照明!」になるのは全く問題ありません。
 
 
問題は、家の内側の部分。物語のほとんどの時間が過ごされる、リビングの照明です。
 
実は今回、35ページある台本のうち、3ページ~24ページまでは照明変化がありません。「家のリビングの明かり」が約1時間に渡って継続されます。
 
 
個人的な信条として、演劇照明の主な役割のひとつが「日常性⇔非日常性のコントロール」だと思っているので、このシーンについては「日常に全振り」で作るべき、のはずです。
 
しかし実際には、このシーンの照明についても「舞台っぽいね」という評を、直接ではないにせよ、ちらほら頂いたような気がします。
 
これが想定外でした。プランナーとしては「日常全振り」で作ったつもりなのですが、少し「非日常」の下駄が履かされていたようです。
 
 
 
…理由は多分、これ。

シーリング

上のシミュレーション画像で光っている方向からの明かりです。劇場で言う「前明かり」に相当する明かり。
 
 
この明かりが無いと真上からの明かりだけになってしまい、役者の表情がよく見えないという致命的な欠点があります。
 
 
よって、演劇の照明では必ず使われる明かりです。当然今回も、日常のシーン全般にわたって、前明かりを70%程度の明るさで点灯していました。
 
 
ところがどうも、これが「非日常」の成分を持っていて、本来「家なのに舞台照明してるね~」と言われる想定をしていなかった、日常のシーンまでが「舞台照明してる」になってしまった可能性が否めません。
 
…まあ、一般家庭の生活用の明かりとしては存在しない方向の明かりですから、当然と言えば当然です。
 
しかし、(舞台照明を見慣れた)自分が思っているよりも、この明かりの非日常成分は強かったのかもしれません。
 
 
…そういうわけで、好評を頂いた「あちら側」(ベランダ側) の照明とは全然違うところで、勝手に思うところのあった公演でした。(笑)
 
 
 
 
アフタートークでお呼びした「裃-這々」さんは、家公演と言っても全く照明などを使用しない、素の家を使うそうです。
 
多少の照明効果を差し置いても、そっちの方がいい場合もあるのかもしれないな……